光栄に思う事

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

昨日の記事は重たい内容で、人の怖さに触れた昨年の結末を迎えるためのお話でした。

 

まだまだ続く話で、今日も人に関する問題をひとつ前に進ませました。というか、進んだと信じたいところです。結果は夏ごろに出るんだろうな、と思ってますがもしかしたら出ないかもしれません。そういった事を含め、受け止める覚悟は出来ています。

 

覚悟といえば、昨年はいろんな事を引き受ける話がたくさんありました。

 

引き受けたもの、断ったもの様々ですが、「光栄に思える事」は基本的に断ってません。これは大変な事であっても同じで、わが家の教えみたいなものとして、引き受けようと努めてます。

 

最近任期を終えたのは町内会の会計。

コロナ禍中~コロナ禍明けの期間だったので、町内行事で困る事はありませんでした。街灯の電気料金の事で電力会社の説明会に足を運び意見したり、それなりに出向く場所はありましたが、それほど大変だとは思いませんでした。

 

自分が住む街の話ですし、子供たちにも関わってくることでもあります。

 

近所のひとと仲良くする事は使命ではありませんし、それほど仲良くしているつもりもありませんが、困った時はお互い様という時に生きるのが自治会での働きだと思ってます。

 

それに大事な仕事を任せられる人物、と評価を受けている事も理解しなくてはなりません。どうでもいい人に町内会費を預けたらどうなるか、すぐ分かる話です。うちの町内に関してはそういう人はいませんが、他の地域の自治会や報道などを見ているとお金のトラブルは付き物です。人選もそれなりに慎重にしていますし、引っ越して9年目の、日が浅い当家に打診があった事は、よい事だと思っています。

 

世の中の流れなのでしょうが、最近「光栄に思える」事って少ないのかもしれませんね。

 

こんなわたしですが、子供たちが通う学校のPTA会長を複数年引き受けたことがあります。正直、福井県内で一番有名と言っていいぐらいの学校で、地元名士など名だたる御家の子息令嬢が集まる学校です。なんでわたしなんかが?と思って当たり前と言っていいくらいの顔ぶれですが、会長職を頼まれる事に関しては厄介事を持ち込まれた風に思うひとが多いように感じます。

 

昔はそうでもなかったと思うんです。

 

実は子供たちの通った学校はわたしが卒業した学校でもあります。それはそれはすごい御家のひとがたくさんいましたし、会長を務めるひともそういう人たちばかりでした。社会の縮図の頂点部分が集まった感じなんですけど…時代が変わったんでしょうね。

 

物事を頼まれた時にどう感じるかは自分次第。

めんどくさいと考えるのも自分だし、おもしろいと考えるのも自分。

 

受け止め方を良い方向で受け止めたいものですね。

 

ではまた。