これって変じゃない?⑦の続きの続き

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

 

楽器が高くて手に入れられない…

夢は持っているが、断念しなくてはならない事もあります。

 

世の中は残酷ですね。

 

実は福井で木の三味線を作っている方がいらっしゃいます。面識はないのですが、いろんな木材を使って作っているようです。

 

木製の三味線といえば九州に「ごったん」なるものがあり、雨が降るとごったん片手に唄うとか聞いた事があります。

 

一家に一台というくらいメジャーな楽器で、各家庭で大きさもまちまちなんだとか。それもそのはず、各家庭で作ったり地域の器用な人に作ってもらったりするそうです。

 

値段があってないようなもの。

でも大切なもの。

こういう形が成り立てば郷土芸能も道が拓けるんじゃないかな、と思います。

 

 

ちょっと前は国が良くなれば、と思うことがありました。

 

私の就職時代はバブル崩壊後の氷河期時代でした。

大手に就職するのは難しく、第二次ベビーブーム真っ盛りで人は大勢いたもので、どこでもいいから就職なんて人も大勢いました。働いてみるとどうかというと、まだその頃は残業代は出ていましたし、働けば働くほどお金を得る事が出来ました。

 

しばらくしてからでしょうか。

過労死などの話題が世間をにぎわし、長時間労働を問題視し始めると共に企業への締め付けが起きました。この頃に出来た言葉がサービス残業です。

 

タイムカードや出勤簿を誤魔化すだけの会社もまだあったのでしょう。

それなりに仕事はあふれていた時代です。

その日どれだけの仕事をこなせるかが第一でした。

 

 

バブル崩壊といえども、仕事さえこなしていれば収入はあった時代なので、案件をいくつもかかえながらへ移行作業で仕事をしている人が大勢いました。

 

あれもこれもと即座にを出し動ける社員の集団が理想で、そういった感じのドラマが多かった気がします。

 

 

自由に使えるお金がある若者

 

時間がなかった若者も多かったでしょうね。だから気が付くと通帳にけっこうな額の貯金が知らずに出来てた人もいました。それをどう使おうかな、なんて考えるのが一番楽しいなんてのも話題にありましたね。

 

自分の生きる道を探し、仕事とは別に楽しみを見出す時代でもあったかもしれません。海外ブランドがこぞって日本に入っていた事もあり、一生モノの買い物をする人も多かったと思います。

 

一生モノでなければ、今日この日この時間を楽しむためのモノにお金をかける人もいました。私の学生時代は走り屋にあこがれる人が多かったです。ゼロヨン、峠、いろんな道をチューンアップした車で攻めてスリルと達成感を求めていく人がいました。

 

それもまた人生。

まだまだ行政整備がされていない分野では迷惑行為もあったのですが、ほんとに自由に人生を楽しむ光景にあふれていました。車を壊すために車を愛するなんていう、矛盾した世界ですけどね。

 

 

どっかで狂ったんだろね

 

その後の社会は変わりました。

目を向ける世界が変わったんです。

 

インターネットがまだまだ普及しておらず、ほんの一部の詳しい人だけの世界だったものが一気に普及し始めました。その頃から人の視野も広がり、国内だけではなくて国外にも意識が向くようになりました。

 

 

結果仕事はさらに多忙になり、ついていけない人が出てきました。出来ない人間になぜ高額の給料を払わなければならないのか?こんな考え方がだんだんと当たり前になってきたのです。

 

本当は国内から世界へ向けて仕事が増えたので、さらに収入アップするのが当たり前だと思うんですけどそうじゃなかった。

 

世界にはもっと安い給料で動いてくれる優秀な人がいたのである。日本基準から世界基準に変わると、それまで日本基準では能力のあった人がざんねんな人になってしまったんです。惜しい人、もうちょっとやってくれればいいんだけどなー、そんな感じ。

 

 

 

殻を破り始める時

 

窮屈な中でもいろいろと思案にふける人もいます。

それなりにこなしていける人。

評価を上げる事もなく、評価を落とすこともなく。

自分探しをしながら会社の人間とは上手に付き合ってる。

 

成果主義などの影響で基本給は据え置きで物価は上昇。

実質減給の時代が長かったのですが、それでも様々に生き甲斐を探し出す人が出てきました。

 

当然、お金がかからないで人生を楽しめるものが多くを占めてます。

地域から感謝されたり、仲間内から感謝されたりする事に喜びを見つけ、それを楽しみに日々働く。

 

特技を磨く、という事が意外にも自分の生活感を高揚させてくれるものだったことに気が付いたんだと思います。インターネットで日本中、世界中の人とも繋がりが作れるようになったおかげもありますね。

 

子供のころに習い事でやっていたピアノが活きてきた。

ずっと聴き続けてきた音楽を楽しめる空間を作ってみた。

 

仕事が一区切り、次の人生の道を働いている最中に模索し退職後に夢を叶える。

 

早期退職などというものが出来たおかげで、定年を迎える前に夢へと歩き始めたひともいますね。

 

 

 

世界の中の日本はどんなところ?

 

 

治安が良くて、経済状況も発言力も強い国。

小さい国ながらあらゆる場面で大事にされる国。

でも国内は困ってるひとも大勢。

 

 

世の中を変えるのは政治家や国を管理する人たちの仕事。世間の皆さんは日本という国での生活を楽しめるように毎日を暮せばよい。ある程度は意見するけど、あるところからはノータッチなのも日本のよいところだと思う。

 

世界から人が訪れるようになり、日本に住みたいと言ってくれるようになると悪い気はしません。地域に移住した外国人を歓迎するようなニュースが増えて、放送局などでも外国人から見た日本の姿を取り上げる事が増えました。

 

 

よい国、日本

 

 

住みやすいのが一番なんだと思います。

そして歴史が守られている事も。

 

 

国が揺れる事が当たり前の国の生まれの人だと、日本の安定さがうらやましく感じるのかもしれない。

 

ある意味封鎖された世界ではあるんですが、大きくは変わらないという安心感はありますよね。だからいつまでもダラダラとなんで続けているのか分からないものも多く存在します。

 

それを許してくれる環境があります。

今はそんな環境を見直し始めてるところかもしれません。

 

地域の行事がなんのために存在しているのか、を考え直す時期みたいなもんです。

コロナがどうこうではなく、コロナ以前からそういった取り組みは始まってました。

 

 

 

今がチャンス

 

 

民謡界に関しては見直している今だからこそチャンスなんだと思います。手弁当で開催されてきて、負担となってきている行事は補助金や助成金、またはクラウドファンディングなどの寄付活動でクリアできる世の中になりました。

 

故郷を離れ、都会で活躍しつつも、故郷を想う。

そんな企業役員や社長さんが地元貢献のために一肌脱ぐ、そんな報道が見え隠れしてますよね。

 

第二の民謡ブームなんてものは来ません。

来るのは文化見直しの波。

 

その波に民謡界は乗れるんでしょうか。

 

 

楽器の値段も、芸の伝承のあり方も。

見直せば素晴らしいものを未来へ残せます。

しかし、見直さず今まで通りを貫くのであれば、未来はないでしょう。

 

あー、こわいこわい。

 

ではまた。