見えない計れない2

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

昨日は疲れのお話でしたが、今日は声のお話。

 

声も見えないものです。一部は計れるものなので、ここはどっちとも言えません。ですが、不思議な表現が多いのも事実です。

 

 

鍛えられた唄声、透き通った唄声に、深みのある唄声、などなど。

 

よーく読んでみると、何を指してそんな表現になるのか、不思議なところです。

 

 

その不思議な所なのですが、わたし個人的な感覚では、声には密度があると思っています。

 

大きさなどとは別の感覚です。

 

オペラの歌手や昔の歌謡曲の歌手にも、密度を感じる声の持ち主はいます。

 

密度をなんと表現すればいいのか分かりませんが、声の質が濃いというか、重たいというか、身が詰まっているというか。

 

そんな感じです。

 

ですから、大会等で唄声を聞くと、この部分が気になってしまいます。

 

いい声、すばらしい声と言われてはいるけれど、なにか物足りない・・・そういった印象を持つことがけっこうあります。

 

なんなのでしょう。

 

 

でも、世界に目を向けると、そういったことが認められている人もいるように感じます。

 

残念ながら、本人を目の前にして生で感じているわけではないので、確信は持てませんが聞いていてそう感じます。

 

そう、聞いていてそう感じているだけ・・・のお話。

 

 

 

 

 

 

 

誰か説明できる人いないんだろか。

 

見えないものには不思議がいっぱいです。