正解は無し

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

 

とある拍子にFacebookの投稿を見てしまったので放っておけないな、とコメントを入れているうちに思った事。

 

 

『津軽民謡、津軽三味線に絶対と正解は無い』

 

 

信じられないかもしれませんが、津軽民謡、津軽三味線、津軽手踊りにとって基本と呼ばれる形はほとんどの部分は個人が確立させていく中で勝手に作った規則規律で作り上げられた形であり、関わる全員に共通の事柄は非常に少ないのが本当の姿です。

 

 

「こうじゃないんですか?」と指し示せる形は確かに存在します。

いい例が成田雲竹先生の唄や初代今重造の唄がそうでしょう。

 

 

しかし、原田栄次郎や初代中村隆志のように変幻自在な唄もあり、それらを賞賛したり、認め合ったりするのがこの世界の面白いところ。

 

言葉を変えれば「お前の事は認めるが、俺はこうやるんだから口出しするな」といった心意気があるんです。

 

 

でも、教える時や教わる時に目印になるものが無かったらどうでしょう。『どうでもいいのかな?』という理解につながるようなものだったらどうでしょう。

 

 

さすがにそれはまずいので、教える側の人でも一部の人が「俺が法律だ」と言わんばかりに基礎を作り上げたわけです。

 

それが今ある基礎の最初の形です。

 

 

ですから、流派が変われば未だに長さの違いや音程の違い、歌詞の違いまで書籍や音源として販売までされているのに千差万別な状況が本当はあるわけです。

 

ですから、その差をとやかく言うのはもともとおかしな事で、「こうなるのが当たり前ですよね」という事は津軽の場合通用しないのが普通なのです。

 

 

今、習っている人たちは幸せです。

少なくとも先人が作り上げた基礎を身に着けられます。

それらは決して間違ったものではなく、それはそれは素晴らしいものであり、舞台で光輝くものです。

 

 

ただ、世界は広くて、様々な細かい変化が存在します。

それらに対応出来て初めて半人前なのであり、自分というものを創造するまで出来て一人前なのです。

 

 

現代で一人前まで発展を遂げた芸人さんはそう何人もいません。

かくいう私もそのひとりです。

 

 

 

ですが、一人前には稽古を積めばなれるはずなんです。

先達だって同じところを歩んできたんですから。

 

 

正解は無しという世界ですが、それを楽しんでいきたいです。

 

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