伴奏の極意。

いつもブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

 

最近の津軽三味線コンクールですが、事あるごとに『唄付け』と言われる「伴奏」の練習をしてくださいと総評されることが多いです。

 

楽器として津軽三味線を楽曲に取り入れようと考えた人が活躍し、津軽三味線の本質である伴奏楽器という部分が活躍の場を無くし、多彩なフレーズを生む楽器として活かされるようになりました。

 

古くから津軽民謡、津軽三味線に携わった人であるとその姿に危うさ、文化人であれば伝統文化が途絶えてしまうという危うさを想うので総評に出てくるのでしょう。

 

伴奏は難しいです。

 

唄い手の息づかいやノリを感じ、太鼓の息づかいやノリを感じ、囃子があれば、尺八があれば、躍り手があれば・・・と、各それぞれに気を配らなくてはなりません。

 

掛け声をかけるのは息を合わせるため、間違いを犯させないようにするために必要であり、お客さんを舞台の熱気に巻き込むために必要なものです。

 

ただ静かに、粛々と進めていては、観客が手に汗握って観るような舞台にはなりません。それらの一端を担うのが津軽の三味線弾きであり、津軽三味線の醍醐味のひとつなのです。

 

現在は昔から培われている「他の演者を観て、舞台を盛り上げる」という技術が違う方面に活かされています。様々な楽器や音楽と交わり、引き立て、自分にも光があたるような伝統楽器は世界を見ても少ないと思います。世界で活躍できる可能性はまだまだ広がっていて、これからどんどん素晴らしい演奏者が出てくると思います。

 

 

伴奏の極意は「他者を想うこと」です。

 

 

独奏はひとりよがりで済ます事が出来ますし、ひとりよがりを理解してくれる人も現れます。ですが、社会に出てひとりで生きていく事が困難なのと同じく、舞台をひとりで切り盛りするのは無理なのです。どこかで人の力を借りて、もっと大きな感動を呼べるようにしなくては奏者としての発展はありません。

 

この極意に早く気付けば伴奏のお稽古も素晴らしい実績になる・・・わたしはそう考えてます。

 

 

 

2月の大阪大会では唄付け部門があります。

重造会の皆さんが活躍できるように、わたしもがんばります!

 

#唄付けが出来ない

#ということは

#人と組めない

#ということ

#人と組めるから楽しい世界もあります

#勉強しないのはもったいないのです

#人の気持ちを探る稽古

#唄うときは裸と考える唄い手がいる

#全てを見て欲しいという表現だそうです

#リアルに裸だと捕まりますよね