横浜にぎわい座公演。

ブログを御覧頂きありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

 

日が近くなりました(´ー`)

 

ぜひ庶民的な伝統芸能の奥深さを感じてください。日本にも海外に誇れる伝統芸能があり、オーケストラやオペラなど世界でも注目される芸能に負けない芸能が存在します。

その一端をお届けします。

 

さて、横浜にぎわい座での公演は思い入れがあります。

 

あくまで個人的なものですので、立ち上げたメンバー全員(DG5)が全て同じ考えとはならない・・・と断りつつも、想いは限りなく近くあると思っていますので記事にします(´ー`)

 

立ち上げのきっかけは、成田武士先生が亡くなった事に始まります。

 

この公演の前身は、成田先生が生前に主宰していた、津軽座の定番公演として、横浜にぎわい座で行われていました。

 

若手芸人を育てたり、自分の想いを伝えるためと、様々なゲストに声をかけて毎年開催されていました。

 

成田先生から話を聞くと、過去に浅利みき先生から『芸人から舞台を取り上げたらただの人以下』という言葉を聞き、本当にその通りだと、舞台を企画し続けられるように始めたそうです。

 

企画が古いものは浅草木馬亭の新春公演であり、

新しいものだと、安来節保存会との交流公演もそれにあたります。

 

しかし続けると言っても簡単ではなく、

それなりに良い思いもしたけれど、

辛い一面もあったそうです。

 

その中、成田先生が病魔に襲われ

亡くなられてしまったのですが、

次へと繋げる話は娘さんに引き継がれました。

 

しかし、娘さんも当時は一緒に舞台には上がっていたのですが、

プロの道には入ってはおらず、次なる方法を探すものの

芸人の手配等々はまとまりませんでした。

 

その際に相談を持ちかけられたのが、

津軽座に出演していた若手芸人(中年ですけど)で、

舞台企画を2つ抱えていた浅草木馬亭の公演と、

横浜にぎわい座の公演をふた手に分けて存続させようという話になりました。

 

現在、浅草木馬亭新春公演は立ち上げに

青森民謡協会の協力があった事もあり、

青森民謡協会が主導して開催されています。

 

同じく安来節保存会との交流公演も

青森民謡協会の主導のもと初夏に行われています。

 

協会のプロ芸人が入れ替わり立ち替わりで、

素晴らしい舞台を作り上げていますので、こちらもぜひ観覧ください。

 

そしてもうひとつの横浜にぎわい座の公演はというと、

青森民謡協会としてではなく成田先生本人による企画

『銀座に津軽がやってくる』からの流れで行われていました。

ですからタイトルに『in横浜』と書かれていました。

 

いつからそうなったのか定かではありませんが、

津軽座という名前が出来上がり、

津軽芸人界の未来を創る舞台作りに変わりました。

 

毎回、多彩な出演者を揃えて、出演者が芸に接する時間を作りつつ、

観客も集めつつ、あの手この手と考えられていたと思います。

 

ある場面では協会の力を使い、ある場面では身動きを軽くするために

協会から離れ個人の力で企画する、そんな動きの激しい舞台は

浅草木馬亭新春公演などでは体験できない舞台内容があり、

勉強できる場面がたくさんありました。

 

賛否ある話も耳にしていますので書いたことが全てではありませんが、

個人的には苦労のあった舞台だったろうと思っています。

 

そして現在はというと、津軽に拘ることなく、

民謡界全てを見渡し、素晴らしい部分を集めて披露していく企画を

若手芸人(中年ですけど)が作っています。

 

成田先生の想いを踏まえつつも、若手から見た疑問点や改善点を

あれこれと相談しながらも、さらに若い芸人さん達に出演してもらい、

古くさくて華やかさが無いと称される民謡を艶やかに昇華させています。

 

今年の主題は『津軽』になっているので若干偏りのある舞台ではありますが、

過去も未来もきちんと色んな土地の芸に目を向けて作り上げています。

 

『先輩先達から見ればまだまだ至らない部分はあるかとは思いますが、

先輩先達も最初から至芸の域にいたわけではありません。

通過点として見てもらった際に、我々が本当に劣っているのか観てください。』

 

という意気込みも隠し味に入っていますので、

情景に気心も合わせて観覧してもらえると嬉しいです。

 

稽古が満つる時などはありませんが、

その日へ向けて稽古を積んで臨みます。

 

友達や家族親戚に、ご近所さんに赤の他人まで

お誘い合わせて横浜にぎわい座に来てください。

お待ちしております!!